人は感情で動く生き物だ。
この言葉自体は、決して新しいものではない。
それでも私たちは、何かを伝えようとするとき、つい「正しさ」に頼ってしまう。
論理的に説明し、根拠を示し、間違っていないことを証明しようとする。
そうすれば相手は理解し、納得し、行動してくれるはずだと。
しかし現実は、そう単純ではない。
正論を伝えたはずなのに、人は動かない。
それどころか、心を閉ざしてしまうことさえある。
「間違ったことは言っていないのに、なぜ伝わらないのだろう」
そんな違和感を覚えた経験が、誰しも一度はあるのではないだろうか。
少し冷静に考えてみると、その理由は明白だ。
人は論理で動く前に、感情で反応している。
納得するかどうかは、その後の話で、
最初に起きているのは「受け入れたいかどうか」という感情の判断だ。
自分の気持ちが理解されていないと感じた瞬間、
どれほど正しい言葉も、耳に届かなくなる。
正論は、ときに刃になる。
相手の未熟さや弱さを、正確に言い当ててしまうからだ。
言われた側は「正しい」と理解しながらも、
同時に「否定された」「責められた」と感じてしまう。
だから人は、防衛的になる。
距離を取り、話を聞かなくなる。
それは感情として、とても自然な反応だ。
もちろん、正論が不要だと言いたいわけではない。
正論は、方向を示すために必要だ。
問題を整理し、判断軸を与え、前に進むための地図になる。
ただし、それが機能するのは、
相手の感情が「ここにいていい」と感じているときだけだ。
共感されている。
理解されている。
否定されていない。
その安心感があって初めて、人は正論を受け取る準備ができる。
近年、AIが急速に進化し、
論理的で、正確で、最適な答えを瞬時に出せるようになった。
正しさそのものの価値は、以前よりも下がっているのかもしれない。
その一方で、
「この人の言葉なら聞いてみよう」
「この人は、自分の気持ちをわかろうとしてくれている」
そう思える存在の価値は、むしろ高まっているように感じる。
人を動かすのは、正論ではない。
感情が動いた、その先にある納得だ。
もし、何かを伝えてもうまくいかないと感じたときは、
言葉の正しさではなく、
相手の感情に目を向けてみるといい。
「この人は、今どんな気持ちだろうか」
その問いから始めるだけで、
伝え方はきっと変わってくる。
正しさよりも、まず心に届くこと。
私自身、絶対にこのことを忘れないようにしようと思う。


